027715 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

最果ての世界

最果ての世界

人間天使の小話/伍

 痛みもなく、苦しみもなく、僕はただ倒れていた。
 でも、少し気が遠くなっていたみたいで。いつの間にか天使が僕の近くに
佇んでいた。いつの間に近くに来たのか、僕は少しだけビックリした。
 そして、天使の表情からは笑顔が消えていた。ただ、どうして良いのか。
どうなってしまったのか。良く分からないような子供の顔に似ていた。その
時、僕は何故かあの複雑に感じた笑顔を見たいと思った。どうして笑顔を消
してしまったんだろうと。

 そうして、僕はようやく気が付いた。僕は、この天使が好きなんだ。死を
告げに来た死神のような存在を愛しいと感じた。

 分かってしまえば簡単な答えで、なおさら僕は天使の笑顔が見たいと思っ
た。どうせ、最後になるのだから。せめて、最後の記憶は天使の笑顔が良い
と思った。
 なのに、天使はさっきから笑顔を消したまま複雑な表情で僕を見つめてい
るだけだった。きっと願えば、笑顔を見せてくれるのかも知れないけど。僕
には思ったことを言葉にするだけの力は残っていなかった。

 そして、どれだけの時間が経っただろう。僕には長く感じたけど、実際に
は短かったと思う。今まで自分から話すことのあまりなかった天使が、僕に
いきなり言葉をかけた。『名前を教えていなかった』と。なんて場違いなん
だろうと思ったけど、そういえば聞いてなかったなとも思った。それに天使
に名前があるなんて考えてもないことだったし。
 そんな僕の思いなんて知るはずもない天使は、更に続けた。『天使が名前
を教えるという行為は、自分の存在理由を他人に与える行為だから』、『そ
ういう掟だから』と。つまり、自分の命を与える行為だと言った。

 僕には、なぜそうするのか分からなかった。感情のない天使が僕を、
どんな風に思っているのか。
 でも、それを聞くことの出来ない僕は天使が告げる名前を。天使に与えら
れようとしている命を。ただ、受け入れることしか出来なかった。


       名前を告げて、消えていく天使。
   最後に見せたのは、笑顔だった。
    天使は、僕に持つはずのない感情を抱いたんだろう。
        その感情、それを知りたい。


© Rakuten Group, Inc.
X